シロクマあいすの日記

シロクマあいすの思いつきを書いたものです。

ハイファンタジーと異世界転生

水上悟志『最果てのソルテ』の帯コピーに「ハイファンタジー」という言葉があるのをみて、ふと気になりました。

「ハイファンタジー」って何?

辞書的な定義でいけば、

  • ハイ・ファンタジー異世界そのものを舞台とする。対して、ロー・ファンタジーは現実世界を舞台として本来現実には存在しない異世界の住民や魔法が登場する。

ということらしいです。

指輪物語」は代表的なハイファンタジーですが、「ハリポタ」は(少なくとも人間界の話は)ハイファンタジーではないわけですね。

ハイファンタジーの方がそうでないものよりも傑作だとか作品として高尚だということはないのですが、それでも、なんとなく語感の響きから「あの作品はハイファンタジーだ」と言われるとなんとなく嬉しくなってしまうものですよね。

 

『最果てのソルテ』は帯コピーにふさわしく完全なハイファンタジーでしたが、ちょっと気になるのは、最近はやりの「異世界転生」ものはどうなるの?ということ。

ゆるめの定義でいけば、異世界転生ものはハイファンタジーで良いのですが、まあ、中には「設定を完全にオリジナルで作っていないと駄目!」「現実世界が少しでも関わったら駄目!」という意見もあるようです。

でも、それを言ってしまうとあの「十二国記」が駄目ということになるわけですよね。

 

そこで、考えなければならないのは「異世界」って何?

小説である以上、現実を完璧に写し取れるわけがないので、どんなファンタジー小説異世界を描いていると言えますし、同時に、「完璧に異世界」を描くなら、日本語や英語などで記述してる時点でアウトになってしまう。オリジナル言語で書くべきだ、となります。

ですから、「ハイファンタジー」とか「異世界」という言葉に込められいるものは、「その世界設定に壮大さ、緻密さ、オリジナルティはあるのか?」ということだと思います。「あの作品はハイファンタジーだ」という言葉には、「あの作品は世界設定が壮大で緻密でオリジナルティある」という意味に取れば、「ハイファンタジー」は褒め言葉になります。

そういった意味で「なろう系異世界転生」が、大部分、「ハイファンタジー」になり得ないのでしょう。

 

話はすでにぐだぐだですが、ついでにもう少し。

何故、「異世界転生」ものが流行るかといえば、「作品自由度の高いファンタジー」というジャンルを気軽に消費しながら、膨大になりやすい「世界設定、描写」を省略できるということにつきると思います。

異世界転生」ものを読んだときに「エルフ」とか「ゴブリン」という言葉があっさり出てきても、その詳しい生態を説明しているものは少ないでしょう。それらの生態や特徴を先人のテキストをそのまま流用することで描写を省略できるのです。主人公に「俺が以前、ラノベで読んだのと同じ、典型的なエルフだった」と書けば、そのまま描写完了です。

また、仮に「巨人」を描写するとき、完全なファンタジーなら、「山のように大きな」とか「城よりもでかい」と書かなければいけませんが、そう書いても実際の大きさは想像しづらいですよね。これが異世界転生者を通すことで、「十五階建てのビルぐらいの大きさの」といった描写が可能になるわけです。

 

最後に、確かに「なろう系異世界転生」ジャンルが不要な描写や設定説明を減らし、気軽で読みやすい作品を量産しやすくした功績は認められるべきでしょう。

反面、オリジナルティを無くし、「ああ、またか」と読者を飽きさせていることはファンタジーを書く上で、気をつけなければいけないのではないでしょうか。